オニカサゴ甘鯛ワラビ筍
赤い魚が釣れていい感じ。刺身昆布締め酒蒸しソテー潮汁etc.
でも風があがる予報にビビッて早上がり。やむなく山です。
筍はなぜか2年連続不作だそうです。
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赤い魚が釣れていい感じ。刺身昆布締め酒蒸しソテー潮汁etc.
でも風があがる予報にビビッて早上がり。やむなく山です。
筍はなぜか2年連続不作だそうです。
キャンディーズが流行ったのは私が高校生の頃です。上京し引っ越しの荷物をかたずけていると街中に(実質上?最後のシングル)「微笑みがえし」が流れていました。進学することになる大学のすぐそばにあった後楽園球場でファイナルコンサートというのがあって、ハッピをきた男どもが「らんちゃ〜ん!」「ス〜ちゃ〜ん!!」「み〜きちゃあ〜ん」なんて叫んでいました。そんななか、マイクを向けられたひとりが「30歳歯科医師です〜!」と言ったのでした。田舎の県立高校を卒業したばかり歯科を志す18歳には「30歳歯科医師」は憧れ!まぶしい響き(笑)。それなのにそんなバカをすることもあるのか、なんて信じられない気持ちでした(今にしておもえば何の不思議もないこと、それくらいの奴はいくらでもいます)。あの人、今頃60代半ば、どこかしらの歯科医師会長かなんかになっているかもしれません。
数年前、CD安売りコーナーで見つけた一枚。当時を思い出しあの「微笑み返し」が聴いてみたくなって衝動買いしましたが、これプレミアものになるらしい。当分、車のBGMにて追悼です。
追伸:28日の特番「伝説のコンサート」はよかった。
先週の救歯会20周年記念講演会は、10年まえの10周年のときと同じく学校検診と重なってしまい参加できませんでしたが(ご勘弁のほど)、他にもいろんな想いや事情があって救歯塾を受講させていただくことにしました。
そんなこともあってか、同年代や数年先輩の講師となっている旧知の救歯会の先生たちからは「ここ牧野の来るとこじゃない」「先週欠席の罪滅ぼし(笑)?」「あれ、噂してたんだけどほんとに来たんだ」「冷やかしだろ!?」その他いろいろ口々にさんざん冷やかされました。それもそのはず受講生は皆若い。卒業年度が私のような「昭和」は皆無であることはもちろん平成一桁の卒業生はおらず、わが剱の会の元気印Y崎先生までもが年長者の部類なのです。こりゃ参った、若者たちのなかにオヤジがひとり、だ。
このセミナーの特徴「チュートリアル型式」とは講演を拝聴するのではなく、一定時間内に皆で意見を述べ合ってディスカッションしそれを代表者が発表するといったものです。自分よりもふたまわりも若い先生たちのそんな中にはいるのはさすがにかなり無理があり、少し下がって黙って聞いていましたが、何より驚いたことは「素人同然」と思っていた卒後わずか数年の若い先生たちが実に鋭く的確な意見を述べるのです。あの頃のの自分といえば、右も左も訳わからず技術の習得には努力しても、症例を診る眼なんてゼロだったもんね〜。そんな自分と比べるまでもなく、若く優秀な先生たちが密かに(?)育ちつつある、これはほんとにうれしい驚きでした。日本の歯科も捨てたもんじゃないぞ。救歯会の面々が10年間練り練ってきたセミナー、これから非常に楽しみです。
栃原松田熊谷先生の編著です。熊谷先生が巻頭に連載されていた頃、一冊にまとめればいいのになんて想像していましたが、それが実現。KDMメンバーとそのスタッフらで脇を固めた好著になりました。これはわが富山剱の会でも教科書になることでしょう。そのなかで私もちょこっとだけ執筆に加わらせていただきました。今回は初診時の様子しかお見せできないことが残念ですが、この症例は治療経過もいずれどこかで披露したいものです。
それにしてもまたしても天草に借りをつくってしまいました。いずれなんらかの形でお返しなければなりません。
ところがパラパラ眺めていたら、なんと自分の原稿に誤まりをみつけてしまいました。
p90図5の図説「緑矢印:「6近心の骨欠損」を「破折線」に訂正です。ううむ、またやってしまった、、、「答案は慌てて出さず、ちゃんと見直せと言っただろ!」なんて子供にもいえません。あ~あ、っと。
今日届いた日歯広報に新執行部の役員名簿が載っています。そのなか最年少「学術、生涯研修担当常務理事」はわが大学ラグビー部同級中島信也くんなのです!
私たち「歯科医政なんて自分とは無関係、まるでキョーミなし。我々臨床歯科オタク」とは全く異なる生き方ですがここまで登り詰めればこれはもう天晴れというしかありません。これから彼の天性のキャプテンシーを発揮して日本歯科医師会を牽引して行くに違いありません。また秋田県歯科医師会藤原元幸新会長も私たちのラグビー部10年先輩なのです。いやはやめでたい。祝賀会をしなくては!!
30年程前の秋田八橋ラグビー場にて、
左:「小指が折れた」、右:「左目腫れた」、中:「まあまあ」ってとこか。
20歳そこそこの頃、髪の毛が多いなあ、、、
水質が安定するのに長い期間を要しましたが、ここ最近コンディションがいいらしくレッドビーの稚エビが増えています。あまりに小さくてうまく写せませんが,四角い餌のまわりの砂粒より小さな数匹を確認できますか。
でもかなりの割合で淘汰されるようでなかなか親エビの大きさまでには育たないようです。
学習塾界の重鎮I理事長からいただいたDeepなKorean tasteの数々。
全く独学で韓国語をマスターしたというIさんじゃあるまいし何が書いてあるのかさっぱりわかりません。上段の2本の茶色の小瓶。これは焼き肉のタレに違いないと思い恐る恐る、、、あれ!?これは焼き肉のタレじゃない、何だろう。うんきっと秘伝の精力剤に違いない、今はやめておいていずれいただくとしよう、と蓋を戻しその日は緑色の瓶の韓国焼酎に溺れました。数日眺めていましたが、Iさんに訊いたところ精力ギンギン剤じゃなく、朝鮮人参ドリンクだ、とのこと。なあんだとばかり一気飲み、身体が必要以上に急に元気になりました。
鬼カサゴリベンジを誓って寝たら朝3:00に目覚めてしまいました。でも最近は夜明けが随分早くなって5:00には空が白みかけてきました。
本命は少数ながらフクラギ、ソイ等外道も混じり穏やかないい海でした。
丸いボールを扱うことがヘタだったからなのかもしれませんが、私は子供の頃から野球が大嫌いでした。初対面の義父に「貴男は野球はどのチームが好きですか」と言われ、思わず「私は野球はみるものやるのも嫌いです」とつい本音をいってしまったくらい。学術講演会ではなく草野球の話題にばかり盛り上がる理事会に水をさすまいと思うことが学術担当理事続投を固辞した最大の理由、なほど。しかし、今回は別格中の別格。以下は選抜高校野球での岡山創志学園高校野山慎介主将による選手宣誓の全文です。
16歳の坊やのこんな言葉。特に最後2行など鳥肌たつほど感動的だと思いませんか?
昭和62年の今日ですから25周年になるのでしょう。このあと25年こんなペースでできるわけはないでしょうが、あれこれ忙しくしているうちが花、かもしれません。
そんな佳き日に新看板ができてきました。永年親しんだ土曜午後休診を、ここにきて木曜午後休診に変更してから1カ月、まだ身体も心も慣れません。
阪神大震災が起った際、被災者の救援に取り組んだ地元の医療関係者らは待ったなしの救護活動に駆り出された。そのうち「悪夢にうなされる」などと訴え心身ともに消耗が目立つようになってきた。〜中略〜被災者が心に受けた衝撃を追体験したためだという。〜中略〜誰もが無限のエネルギーを持って活動を続けられるわけではない、後方支援に当る私たちは、救援する側にも「救助船」が必要であることを心にとどめておこう。 '11 4.5北日本新聞コラム「天地人」より
先日、診療所が流された被災者である石巻M先生と電話で話しました。「震災直後は警察医でもある自分ひとりで毎日300~400づつ運ばれてくる遺体を前に途方にくれました。でも最近は山形、新潟等近県の歯科医が応援に来てくれてる上、新たに運ばれてくる遺体は50体くらいに減って(!)随分楽になりました。ご遺体を早く遺族の許に返してあげたい一心で頑張ってます」とのことでした。聞いてるだけで目頭が熱くなる想いがしました。学会から「検視作業の規模を縮小する」との知らせがきてはいますが、彼の心情を想えば自分も現場に行かなければ収まりがつきません。救助船を出さないで口先だけで「いま自分ができること」なんて弱腰なフレーズは聞き飽きました。
いつ「赤紙」が来るのか、なんて内心ビビる毎日です。全国1,000人のエントリーのなか先週飛騨高山の歯科医師が出動したとか、てことはいよいよ明日にも北陸にも招集礼状がくるのかもしれません。そんな昨今にこんな話題は憚りながらですが、左:凡人、右:名人の今日の釣果です。
この差は歴然、参りました。また山の達人からは今年の筍の初物をいただきました。
明日は筍御飯ですね、楽しみ。