訂正とお詫び
大変な間違いをしました。歯界展望3月号p466の図説下から2行目(赤線)「歯槽硬線は」という文字を削除してください。
「明瞭になってきている歯槽頂線は頬舌側の皮質骨です」というのが本連載中で最も重要なポイントのひとつだというのに、とんでもない間違いを見落としました。歯槽硬線といったら歯根膜と一致する固有歯槽骨のことを示すので,全く異なります。
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大変な間違いをしました。歯界展望3月号p466の図説下から2行目(赤線)「歯槽硬線は」という文字を削除してください。
「明瞭になってきている歯槽頂線は頬舌側の皮質骨です」というのが本連載中で最も重要なポイントのひとつだというのに、とんでもない間違いを見落としました。歯槽硬線といったら歯根膜と一致する固有歯槽骨のことを示すので,全く異なります。
’88 3 20代女性 右上8が埋伏しています。
’98 6 10年後萌出を確認
’02 3 あまり変化はなく、このあと暫くメインテナンスを怠った
’10 1 22年後の40歳代後半。7」遠心にカリエスを発見。(8のせいでブラッシングが困難?)
左:遠心隣接のカリエスは縁下深い。8はもちろん保存可能ながら7遠心のメインテナンスに問題が残るため8の抜歯を決断
右:2w後、深い窩洞となったものの抜髄はなんとか免れた
メインテナンスを怠ってしまった反省でもあり結果論ながら、’03時点で抜歯しブラッシングが容易であればこのカリエスは防ぐ事ができたかもしれません。保存か抜歯かの判断は一様ではありません。
今回のテーマは「垂直性骨欠損の二つの治癒のかたち」です。
歯周治療において自然移動を利用して骨レベルを揃えることは有効で、そうした治療を重ねてきました。しかし症例によっては、骨レベルが必ずしも水平でなくても安定するものもある、とくに非可逆的治療となる有髄歯の切削は要注意、というのが要旨です。
ぜひご覧いただきたいのは本ブログ「’09スタッフミーティング」でご紹介した川上清志先生筆のイラストです。今回、ご本人のサインいりを掲載してもらいました。
今日は高気圧に覆われて晴れるとわかっていました。海か山か迷いに迷っていましたが、昨日まで降った新雪が望めることからスノーボードにきめました。6時過ぎ、朝マックをかじりながらクワトロターボをぶっ飛ばすこと1時間40分、シャルマンの始発に間に合いました。ご覧のとおりのVirgin Snowが広がってます!
テレビではニュースキャスターが深刻な顔をして「関東地方では明日朝までに5cmの雪。交通に障害が心配です」なんてジョークなんじゃないかと笑えましたが、ここは5m(!)の積雪でした。いやはやパラダイス!リフトを降りると皆我れ先にキントウン状態を求めてパウダーに飛び込んでゆくのでした。
手つかずだった新雪もあっというまに滑りあとに荒らされるものの、一本目は自分のだ、と見上げるのは実に気分がいい!ノンストップの10数本、身体はバテバテ,雪はグチャグチャ、ブーツのバックルが壊れたことを幸いに終了、満足。来期はパウダー用を新調なるか。
12:00ジャストにすし活のカウンターに座り、手間のかかった珍味「甘エビの脳みそ」をごちそうになりました。旨かった〜!
現在、複数の原稿とプレゼンテーション準備のなか、程よいプレッシャーを楽しんでいます。煩わしくても(少しだけ)何かに追われる緊張感は必要なのです。
10数年経過した長期経過症例では口腔内写真が数百枚(あるいはそれ以上)になりますが、そんななかでも「あの一枚、、、!」という思い出のワンショットがあります。症例写真のすべてを完全デジタル化したのは2002年でしたが、それより以前のスライド写真を数年毎に並べて眺めていたら、またしても思いもよらない変化があることに気付きました。大きなシャーカステンに並べてみて、ならではのことでパソコン上では困難なことです。詳細は歯界展望4月号にて乞うご期待!
新装なったオタク部屋の広いテーブルはこんな密やかな楽しみのためにも非常に便利。
毎月、「歯と歯磨きを科学するデンタルマガジン 朝昼晩」という患者さんむけの冊子が日本歯科医師会から送られてきます。昨日届いたNo.25に私が園医になっているかたかご幼稚園が載っています。
この幼稚園がこの企画にドンピシャだと直感したので、ぜひ応募したらいいと私が園長に持ちかけ見事予選通過したのです。タウン情報と○まの「〜歯科医院紹介」掲載は歯科医院側が7万数千円の大枚を支払っている広告宣伝記事だそうですが、こちらは「取材」される側です。
昨秋の取材当日は平日の午前中だったのでわざわざ休診する程でもあるまいと思い私は顔を出しませんでしたが、私が毎年歯科検診の折に余興として行っているパフォーマンスのことも紹介されています。ただし「マイクロスコープ」と書かれているのは「ただのデジカメ」が正しいです。
本ブログでご覧のとおり、同年代のオヤジたちのなかではかなり元気印の私ですが、この人の足下にも及びません、というのが金沢の内科医早川先生という方です。詳細はHPをご覧いただければ彼の超人ぶりがお分かりいただけるかと思います。http://w2222.nsk.ne.jp/~turu/
このHPで紹介されていてかねてから一度行ってみたいと思っていた糸魚川の鮨や「すし活」。シャルマンの帰りに温泉に浸かっていたら急にそれを思い出しました。糸魚川といえば天草の名門3代目の実弟永野先生が、携帯電話で店先までのリアルタイムなナビゲーションをしてくれました。
「上ちらし」これがもうメッチャクチャ美味かった!それに加えて名前どおり快活で生きのいい大将とは、早川先生、永野歯科医院、天草、(店にサイン色紙があった)伏見工業高ラグビー部山口監督その他の話に花が咲きました。楽しくて私はこの寿司やがいたく気に入りました。大糸線沿線へは山登りにもスノボにも年に数回行きますが、これからは毎回立ち寄らせていただきます。
北陸道を飛ばすこと2時間弱。自宅からゲレンデまでの所用時間だけなら立山山麓と大変わりはしませんが、糸魚川市の山間にあるシャルマン火打スキー場は、新潟長野のみならず関西関東いたるところから朝イチの新雪めざしてエキスパートが集まっていました。
中央のクワッドリフトの両サイドに一面ずつ圧接されたゲレンデ、それ以外は非圧雪で存分にパウダーを!というスノーボーダーにはパラダイスなスキー場なのです。下から見上げると無数のシュプールにみえますが,その上に昨夜からの新雪が20〜30cm積もっていて、晴天もあってコンディション上々。
クール新雪:むずかしい/Very Difficultというだけあって、ひとたびここで転倒すると腰〜胸まで埋まりそこから脱出するためもがくこととなりヘトヘト。2時間もガンガン滑ればもうくたくたでバタバタになったゲレンデからはや上がりしました。来シーズンはもっとはやいうちにパウダーをいただきにあがります。
現在ゆっくりながら改装新設工事が進捗してゆく様を楽しんでいる6番チェアーコーナーです。「オペ室」「レントゲン室」等いろいろ案がでたものの、いずれにしても少し広くて贅沢すぎるスペースが惜しくなってきました。そこで一角にテーブルをおきパーティションで仕切って(第2)カウンセリングコーナーを併設することにしました。
ところで今回の工事を考え始めた当初から、この部屋へのエントランスはガラスの扉をつくることにきめていました。それは昨年ベルギーのルーベン大学を見学させてもらった際、透明で閉塞感のない天井までの扉がいたく気に入ったこと、さらに熊本のN田歯科でもそんな扉があってそのかっこよさを再確認してきたからです。
限られたスペースに特注の「ガラス扉」ではあるものの、ルーベン大学ともN田歯科ともにてもにつかぬものにはなってしまいましたが、、、まあいいか。
スノーボードのスキーに対する大きなアドバンテージはなんといっても新雪のうえを浮かぶ様に滑るパウダーランです。今シーズン最初で最後かもしれないチャンスにイカ釣りは断念してゴンドラ始発を目指しました。
ゴンドラ一番乗りをして未開の雪面を滑ろうというほどのひとたちですから道具にももちろん気合い十分。中央左の青いボードが私のものですがそれ以外はノーズが尖ったあと幅広くテールはスプリットがはいっている、そんなボードばかりなのです。ヒマにまかせてきいてみると新雪の下に潜り込んだとき抜け出しやすいように先は尖っていてボリュームをつけて浮力がある、そのかわりテールは極端に短くして帳尻を合わせてあるのだとか。
バックカントリー仕様の私のボードと並べてみれば、スタンスは変わらないながら乗り位置や全体の形状はこんなに違うことがわかりました。ちなみにこのボードの持ち主は1シーズンに60〜90回(!!)ゲレンデに行く強者だそうです。スノーボードも用途や指向に沿いながら進化しているようですが、ウインドサーフィンのボードはノーズが短くて小さく、テールばかりボリュームのあるティアドロップ型に進化していった、、、のと正反対であることは不思議です。
神奈川県立美術館でされた同展を高岡市美術館で開催。主催放送局勤務の患者さんから招待券を頂戴したのでありがたく行ってきました。
中学生の頃「わが伏木中学校の校歌は、作詞掘田善衛(芥川賞作家大正7年伏木に生まれ平成10年80歳で没)作曲團伊玖磨と著名人の作。堀田に作詞を依頼したところ『校歌なんぞとてもとても、、。「〜の歌」ということでよろしければ』といわれたことから伏木中学校の歌と称することになりました」ときかされていました。
「♪広い世界で働こう~、広い世界を知りぬ~こう~~♪♪」と、世界に視野を広げようと唄われているとおりご自身も60歳でスペインに移住されたそうです。とはいったものの伏木校下から有能な若者の多くが出て行くのも困ります。いまや高齢者在住率が高岡市内校下堂々の第3位、なおかつ独居老人世帯が当町内の4割!と深刻なのです。一度世界へ出てもまた帰ってもらえるといいと思うのですが。
私が通っていた富山県最古の保育園、伏木保育園は(善衛氏の母)堀田くにさんが91歳で亡くなるまで園長をつとめられたそうです。息子さんの善衛さん作の詩を達筆な母上による揮毫も展示されています。
富山県最古の伏木小学校は藤井能三さん、日本最古の東京歯科大学は血脇守之助先生。いずれも篤志家の私財で開設された恩恵にあずかってきました。