(Minorな)GBR
右下5骨欠損です。舌側の骨隆起から自家骨を採取
縫合し7ヶ月後、目論み通り周囲とほぼ同じ幅の骨に再生されました。
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講演を依頼され加賀温泉郷にいってきました。
諸先輩方が集うなか、何の肩書きも研究歴もない私にはかなり図々しい事なのかもしれませんが、準備する中に新たな発見や種々の整理もあることは他のケースプレゼンテーションも同じです。
今回、気安い聴衆ではあるものの若い先生にはともかく年長の先生たちに対して、自分の意図することが伝えきれるのだろうか、、、と幾許の不安を抱えていました。ところがそれは杞憂に過ぎなかったことがすぐにわかりました。懇親会で大変多くの大先輩方から多数過分な講評を頂き恐縮しました。みなさんよく細部までみて覚えていてくださるものだと驚きました。さすが全員プロ!、、、当たり前か。また数人の先生からは「スタッフを連れて見学に行きたい」との言葉もいただきました。もちろん大歓迎です。
企画してくれたS先生、K支部長先生、過分なおもてなしをいただきありがとうございました。ワイン蔵(!)をお持ちとの酒通N先生にお土産にいただいた、いかにもプレミアがついていそうなやんごとない焼酎、美味しくいただきました。
前歯ブリッジ2次カリエスによる審美障害が主訴です。
ブリッジを撤去してテックに置き換え、根管治療を全てやり直しましたが、このまま補綴すれば歯頸部のラインが不揃いのため審美的にかなり問題が残ります。
歯列不整が原因であることはわかっているので矯正をすすめましたが、時間費用その他のことから同意していただけませんでした。そこで部分層弁による根尖側移動術で歯頸部ラインを低いほうに揃えることになりました。
創傷の治癒と歯肉のクリーピングを待ちながらプロビジョナルのカントゥアーで辺縁歯肉の形を調整し、最終補綴は6ヶ月後のお楽しみ。
左下5近心に垂直性骨欠損が認められます('94 10)。外傷の除去〜自然移動で大きく遠心へ移動し、ポケットがなくなりました。しかし56が近接しこれでは補綴が不可能なため、MTMを行い連結冠を装着し、保定と固定を行いました。
メインテナンスが続いています。13年後である現在です。炎症の再燃はありません。
歯槽骨頂線、歯槽硬線ともに明瞭なうえ骨梁像も安定しています。
咬合性外傷によるいわゆるすり鉢状骨欠損(四壁性骨欠損)でした(1995年)。
便宜抜髄をして自然挺出をはかりました('95 4~'96 4)。
骨欠損はなくなりプロービングデプスも2mmとなりましたが、歯冠歯根比が極端に悪いです。
「このあとどれだけもつか」と批判もありました。しかし患者さん自身のプラークコントロールはずっと続いており、リコールも継続されています。初診から12年後最近のレントゲンです。
朝イチに一番乗りしたゴンドラから極楽坂に歩けば踏み跡のないパウダーがいただける事に気づきました。目論みはまんまと的中して雪の少ないこの冬にもかかわらず何本かのキント雲を頂戴しました。よかった〜!
でもそのうち若者たちの軍団に雪が踏み荒らされてきたのでそこは撤退してスノボスクールに切り替えました。
小5の小僧のスキーはなかなか美しく、私はすでに抜かれてしまった感もあります。
ところがスノーボードは勝手が違うらしく悪戦苦闘しています。
楕円球と丸いボールと同様、得手不得手もあるかのも。何事も自分の息子に抜かれてしまうことは本望といえるかもしれませんが、「これはオヤジには勝てない」ということも一つくらいないとサマになりません。
それにしても雪が降りませんね。今年はこれで終わりなのでしょうか。
珍しいお酒をいただきました。
瓶に一升はいっていて付属のひしゃくですくって呑むのです。こりゃいいや、うまいうまいと呑んでいたら私ひとりじゃ惜しくなり誰かと分ち合いたくなってきました。何人かにはフラレましたが2〜3人が手に手に肴を持参してつきあってくれました。
ついでに「つま恋」30年ぶりのコンサートのDVDがあるからそれをみて盛り上がろうぜ!ってことになりました。
「つま恋」当時高校生だった私は高岡農協会館で「フィルムコンサート」というのを見ました。数万院もの観客が夜中まで一人の汗だくの男に向かって拳を突き上げている様子に興奮し、自分も「人間なんてららーら、ららら、らーらー」なんてがなりながら自転車で帰ったものでした。
その30年ぶりの復活再現コンサート。行きたかったな〜。よしだたくろうの歌にはなぜか思い出がいっぱいなのでした。いやあ、楽しく酔っぱらいました。つきあってくれたHさんNさん、乱入のTさんありがと〜、また呑もうぜ!
術前。骨の幅は充分あるものの頬筋が高位に付着しているため歯槽頂付近まで可動域となり、補綴物の障害となります。相対的歯槽堤形成術としての口腔前庭拡張術の適応症といえます。
粘膜、筋膜、骨膜をきりわけ骨膜を大きく下方に位置させて縫合します。
5抜歯窩周囲にあった骨鋭縁のためフラップに穿孔をきたしてしまいましたが、目的は達せられ充分な歯槽堤が確保されました。新たな筋付着部位は歯槽堤の下方になります。裏返ってみえるところは本来骨面についていた骨膜の内側。術後疼痛腫脹もなくあとは治癒をまつだけです。
地元の山。中学生のころ「ふたなみさん(273)と覚えるのだ」数学のF先生に教わりました。
昔、越中国府としてかの大伴家持(おおとものやかもち)が単身赴任していたことから万葉集にも数首謳われています。
雪が少なくスキーがさっぱりダメで身体が腐りそうになってきた正月休み、マウンテンバイクで様子をみに行ってきました。例年今頃はシールをつけた山スキーで筋トレに使う道は轍の跡が凍っています。
ひとりの人間にも会いませんでしたが、たぬきや野うさぎの足跡はあちこちにみえました。
展望台から日本海をバックにした仏舎利塔~万葉ライン〜鐘つき堂をみはるかす。
季節がかわればこんなに趣が異なります。
1月。MTB
2月。山スキー
5月。MTB
喪中につき新年のご挨拶は遠慮させていただいています.
当HPの来場者数がクリスマスイブの過去最高記録を更新しました。みなさんありがとうございます!HPやブログといえば自分勝手なことを書いているに過ぎないのではありますが、他人にみてもらってナンボなので数百人ものリピーターにおいでいただけるのは本当にありがたいことです。
ところでいいお天気の元旦、初詣は高岡古城公園内の射水神社まで遠征し長女の大学合格祈願をしてきました。
やはりなんといっても今年最初にして最大の懸案事項。無力なオヤジとしては神にでも仏にでもすがりたい。
新たな降雪はないので翌31日は普通のゲレンデのスノーボードは諦めて、山スキーに切り替える事にしました。
粟巣野スキー場は斜面が急だしリフトが動いていないため、早朝の雪は全くのバージンパウダースノー、野うさぎの足跡しかありません。シールをつけたスキーで斜面を登る事はできますが、斜めにジグザグに歩かなければならないうえ、スキーを履いても膝、深いところでは腰まで沈みます。30分も格闘したらもう汗だく、どうしてこんな辛い想いをしなければならないのでしょう。私とあまり年齢がかわらないのに3000m級を日帰りで、しかも毎週2度も制覇している金沢の早川さん のことを思えばなんのこれしきどうってことはないはずですが。
http://p2222.nsk.ne.jp/~turu/
リフト降り場まで激ラッセルを3時間。ダイブ寸前のパウダー斜面です。
でもこんなに頑張って登ったというのに下りは粉雪を巻き上げながらわずか5分。他人がみれば酔狂な話だとは思いますが、そのために頑張るのです。
「お金を貯める事は大変だが使う事は容易い」にも似ているかもしれません。
仰ぎみれば新雪の斜面にはジグザグに登った私の踏み跡とまっすぐに滑り降りて来たシュプールだけが残っていました。